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善光寺


私たちの地方では人が亡くなったりお盆やお彼岸になると「西国三十三番御詠歌」を唱える。これは亡くなった人を弔ったり、ご先祖を供養するために親族が集まって唱える習慣になっているのだ。

一番は那智山青岸渡寺で「補陀洛(ふだらく)や 岸うつ波は 三熊野(みくまの)の 那智のお山に ひびく滝津瀬(たきつせ)」と詠い、最後の三十三番は谷汲山華厳寺でなぜか3番まである。「今までは親と頼みし笈摺(おいずる)を脱て納むる美濃の谷汲」。これで御詠歌も完結かと思いきや、さらに番外編がある。

その番外編の代表が高野山の金剛峰寺であり、信濃の善光寺である。信濃の善光寺の御詠歌は「身はここに 心は信濃の 善光寺 みちびきためへ 弥陀の浄土へ」、と他にも「埋もれし難波の池の弥陀如来 背なに負いめす本田義光」がある。長野の善光寺はこの本田義光という人を抜きには語れないようです。

善光寺の縁起によると、今から1,450年前の欽明天皇の時代、百済より仏教が渡来した。天皇は崇仏派の蘇我氏に如来仏を与えた。ところが日本古来の神道を守る物部氏と、仏教を受容しようとする蘇我氏との間で争いが起きた。如来仏は物部氏によって難波の堀に捨てられてしまった。そこへたまたま信濃の本田善光が通りかかり、善光は如来様に呼び止められた。堀から飛び出した如来様は善光の背中に乗り移り、善光はこの如来仏を信濃へ持ち帰った。

そして642年に自宅を寺に改めてお祀りしたのが善光寺の始まりであるといわれている。もちろん善光寺の善光は本田義光からとっている。よって善光寺の歴史は非常に古く、善光寺は宗派的には無宗派である。このたびの北京五輪聖火リレーで善光寺において出発式を行う予定だったが、善光寺は辞退する方針を固めた。同じ仏教徒として中国のチベット弾圧を許しがたいということと混乱回避が理由らしい。それはそれで一理ある意思表示である。

ところがその最中、善光寺の本堂(国宝)に20日落書がなされた。それが聖火リレー出発式と関係あるかどうかは別だが、本当に悪質ないたずらである。私はこのニュースを聞いたとき昨年の韓国ソウルの南大門の火災消失の一件を思い出してしまった。26日に善光寺近くの場所から聖火がスタートすることが決まっているが、無事にそのセレモニーが行われるか心配である。

もうひとつ善光寺といえば「牛に引かれて善光寺まいり」(人に誘われて思いがけず良い方へ導かれるたとえ)いう慣用句が示すとおり、他者本位でお参りするようなのんびりとした信仰の聖地であるのに、今回のチベット騒動の余波でずいぶんと騒がしいスポットになってしまった。

いつかは訪れてみたい古刹である。門前の“おやき”が美味しいらしい。



<今日の昼めし>
大阪で会議。その流れで支給された行楽弁当を食べる。
by inaminoTORAsan | 2008-04-21 23:56 | 日常のこと


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