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春の俳句


俳句は、俳諧という、昔の文学の遊びから生まれた。俳諧は「俳諧の連歌」の略で“こっけい”の意味もある。5・7・5の「発句」のあと、何人かで7・7の句をつなげていく文学の遊びがあった。よってて俳句という呼び方は「俳諧の発句」の上と下の字を縮めたものであった。

それまでの古い俳句=俳諧の発句と区別するために、明治中期、俳句を新しくする運動をおこした正岡子規が「俳句」という言葉を正式に用いた。江戸時代の松尾芭蕉は俳句を文学にまで高めたことで知られているが、実は芭蕉は、自分の作品を俳句と呼んだことは一度もない。

今日は、先人たちが詠んだ春の俳句を一緒に味わいながら、ゆく春を惜しみましょう。

山路来て 何やらゆかし すみれ草   松尾芭蕉(野ざらし紀行1685年頃)春の俳句_d0086262_1138849.jpg
京都から大津へぬける山道で、ふと道ばたに目をやると、すみれが、ひっそりとさいている。その可憐でつつましやかな姿に、どう言えばいいのか分からないが、とても心を惹かれた。

ちるさくら 海あをければ 海へちる  高屋窓秋(白い夏野1936年)
桜の花びらが風に吹かれて散っている。海が、深々と、まっ青にすんでいるせいだろうか、淡いピンク色の桜の花びらが、まるで海に吸い込まれるように、はらはらと散っていく。

遠足の おくれ走りて つながりし   高浜虚子(新歳時記1934年)
今日は遠足。のどかな春の野道を、子らの行列が行く。道ばたには、タンポポが咲き、蝶が飛び、小川にはめだかが泳いでいる。何人かの子らが、あちこちできょろきょろと道草して、いつのまにか行列から遅れてしまっている。それに気づいた彼らはあわてて走り、やっと列につながった。

長き長き 春暁の貨車 なつかしき   加藤楸邨(穂高1940年)
春の明け方、布団の中で目を覚ますと、遠くからゴトンゴトンと鉄道に貨車が走っていく音が聞こえる。長く、長く続く音からして貨物列車か。いつまでも続くその音を聞きながら、昔のこと、故郷のこと、両親のことなどを懐かしく思い出している。

春の俳句_d0086262_11395086.jpg春の海 終日(ひねもす)のたり のたりかな   与謝蕪村(蕪村句集1784年)
うららかな春の日ざしのもと、穏やかな海が目の前に広がっている。風も波もなくとてもゆるやかに一日中、のたりのたりとうねっている。それを見ていると何だかのどかな気分になって、時がたつのを忘れてしまいそうだ。

お嬢さん ハンカチどうぞ 春の雨  寅蕪村(いなみの寅さんがいく 2007年)
地下通りを上がって地上のビル街に出ると雨が降っていた。本降りだ。傘なんて持ってない。ビルの軒先で雨宿りをする寅。ふと横をみるとリクルートスーツの若い女性が雨に濡れて難儀している。これから就職試験にでもいくのか。服や髪がびしょ濡れで、折角の一張羅が台無しだ。そんなんじゃ受かる試験も受からない。寅はポケットからダンヒルの青いハンカチを取り出し、そっと女性に差し出した。「お嬢さん、これ使いな。あげるよ」 寅はハンカチを渡し、小走りで雨の街へ消えていった。


という訳で最後の一句は失礼しました。春は、自然も人もゆっくりと、そして着実に動き出す季節です。5月になればもう夏になるので、春はもう少しで終わります。ゆく春を惜しんで皆さんも一句ひねってみてはいかがでしょうか。今日4月20日は二十四節気でいう「穀雨」でした。


〈今日の昼めし〉
須磨区のファミレスで角煮定食。取引先の方と。
by inaminoTORAsan | 2007-04-20 23:48 | 日常のこと


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